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人生の冬眠

 司馬遼太郎氏の本の中で、たしか吉田松陰がこんなことを言っていた。「どんなに長いものであろうと短いものであろうと、人生には春夏秋冬がある」

 大分前、それを思い出して、我が家に遊びに来てくれた友人に問うたことがある。

「人生に春夏秋冬があるならば、今、おまえの人生はいつ頃だ?」と。すると友人は「春かな」と答えた。そして、逆に僕に同じ事を聞き返してきた。「う〜ん、梅雨だな」と答えた。昔の話である。今でも二人とも元気だ。

 さて、昨日、私と私の父母とで、二年振り(父母は一年振り)に父方の祖父の墓参りと、祖母の見舞いに行ってきた。距離が距離なだけになかなか行きたくてもいけないのである。祖母は三、四年前から介護施設に入っている。その前に実家にいるときから、私は祖母と話すのが大好きだった。智恵の固まりのような人で、迷いがちな私にとって、大きな活力を与えてくれる人だった。今回も祖母から何かをつかみたい気持ちと、二年振りの懐かしさとがあり、『元気にしてるかな』などという期待の気持ちで、訪問したのだ。施設のエレベーターの扉が開くと、いきなり車椅子に乗っている祖母が目の前にいた。顔つきが多少変わってはいたが、『二年振りだしな』という気持ちで「ばあちゃん!」と声をかけた。父も「どこに行きたいんや」と話しかけたが、いつも通りのはっきりした返事が返ってこない。何か様子が変だ。介護士の方に挨拶すると、「いつもエレベーターの前にいるんです」と話してくれた。私も父も母も大方察しがついた。ばあちゃんは認知症になってしまったのだ・・・!突然のことに、私はショックを通り越して「いつも通り」に徹する様に切り替えた。父が車椅子を押す、私が話しかける、母がばあちゃんの好物のチョコレートを口に運んで食べてもらう。何故かばあちゃんは、父もよく覚えておらず、母も知らぬ人なのに、僕の名前は覚えていてくれた。そうして「大きくなったなあ」のやりとりをを十回以上繰り返す。きっと私のことが一番心配だったからなのだろう。私は必死で陽気に振る舞った。

 その後、気を利かせて私と母は離れたベンチに座った。よくよく観察してみると、たくさんの車椅子のお年寄りが何することなく寡黙に過ごしている空間だということが、改めて身に沁みた。私が「切ないね」と話すと母は「歳が歳だから・・・」と、ため息をついた。まもなく、ばあちゃんに「元気で!またね!」と手を振って別れを告げるとばあちゃんも手を挙げてくれた。

 車に乗った私たち三人は、しばらく無言だったが、父が「これが最後になるかもしれんな」とつぶやいた。しばらくの沈黙の後、私は何かをこらえながら言った。「今迄さんざん苦労してきたばあちゃんだから、きっと神様が最後は苦しまなくて済むようにしてくれてるんだよ」・・・もちろん三人とも、ばあちゃんがどうであろうと長生きしてもらいたい気持ちには代わりがない。

 人生が春夏秋冬ならば、祖母はさながら冬眠に入ったというところか。次にくる春を私は信じたい。

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